『納税者の権利救済制度確立のたたかい』(9) | ← | 著著、執筆TOP | → |
政府の予想を超えた白熱の論議税調の昭和43(1968)年7月の「税制簡素化に関する第三次答申」(国税不服審判所の創設を含む国税通則法「改正」についての答申)は、ほとんどそのまま国税通則法「改正」案として翌昭和44年2月に国会に上程されました。最初に提案された第61国会では、会期末の「大学運営臨時措置法」の強行採決という事態に伴って審議未了廃案になりましたが、その後、第62臨時国会で継続審査となり、次の第63通常国会でようやく可決成立し、昭和45年5月1日施行されました。 政府は、当初、この法案が対決法案ではないのでスムーズに国会を通過するものと考えていたようですが、社会党や共産党の厳しい追及で政府委員がたびたび答弁に窮きゆうするような事態になり、審議にかなりの時間がかかりました。そのため、昭和45年1月1日から発足する予定だった国税不服審判所は、5月1日、ようやく発足することになりました。 以下、国税不服審判所の創設を含む「改正」国税通則法における不服審査制度の問題点を、国会論議を踏まえて批判的に検討を加えておきます。 まず第一に、学界や実務界、納税者団体などから強く求められていた「訴願前置制」(不服申し立て前置主義)廃止の要望がまったく無視され、異議申し立て、審査請求の二段階からなる行政上の不服審査を経なければ、課税処分等の取り消しを求める裁判を提起することができないという従来の制度が、そのまま踏襲されたことです。 この点では、それ以前は、異議申し立て後6カ月を経過した場合の出訴権や、異議申し立て後3カ月経過した場合には自動的に審査請求に移行(異議申し立て人が審査請求に移行しないよう特別の申し立てをした場合は審査請求に移行しないこととなっていました。この場合は、異議申し立て後6カ月を経過すれば出訴することができました)することになっていましたが、この制度が廃止されました。また、それまでは、国税局長の処分、国税局職員の調査に基づいておこなわれた処分については、異議申し立てを経ないで、国税局長に対する審査請求だけとなっていましたが、これも国税局長に対する異議申し立てを経たうえでさらに国税不服審判所に審査請求をしなければ訴訟はできないことになりました。 従って、行政段階の不服審査は、国税庁長官、または国税庁職員の調査に基づいておこなわれた分、国税庁職員のおこなった処分を除いて、すべて異議申し立て、審査請求の二段階の不服申し立てを経たうえでなければ裁判ができないことになりました。これは、憲法32条で保障されている国民の裁判を受ける権利を不当に制限するものといえます。 また、処分庁に対する異議申し立てを強制することによって、被処分者に対して異議審理段階で不当な圧力がかけられる可能性があることも否定できません。現在は、当時に比べて納税者の権利意識が高くなってきているので、異議申し立て段階で処分庁の圧力によって異議申し立てを取り下げるようなことはあまりないと思われますが、昭和40年当時はそういう事例があり、それが国会論議にも反映されていました。 このような事情を反映して、国税通則法を審議した国会では、・納税者がためらうことなく自己の権利救済を求め、その主張を十分行ない得るために、いやしくも税務当局が不服申立人を差別的に取り扱うようなことのないよう、厳に適正な運営を確保すること」とか、・出訴と不服申立ての選択等についても、絶えず真剣な検討と努力を行うべきである」(いずれも1970年3月4日、衆議院大蔵委員会の附帯決議から抜粋)などの附帯決議がつけられました。 第二は、国税不服審判所を、国税庁長官の付属機関としたことです。裁決機関の独立性の確保という点からいえば、執行機関である国税庁から独立させることが望ましく、社会党案でも、日税連案でも、日本税法学会の意見書でも、最低限、国税庁からの独立を求めていました。ところが、税調答申は、裁決機関を国税庁から分離させることは、税務行政の統一的運用を妨げること、三審級(地裁、高裁、最高裁)の裁判の下に、さらに準司法機関として国税庁から独立した不服審査機関を設けることは重複の弊害があるなどを理由として、国税庁の付属機関とする方針を打ち出し、政府もこの答申に沿って法案化しました。 重複の弊へいをいうなら、異議申し立て、審査請求という二審級の行政上の不服審査を、審査請求一本に絞るとか、不服審査と出訴の選択を納税者に認めることの方がはるかに論理的だといえます。 改悪された審理手続き第三に、不服申し立ての審理手続きが改善されないだけでなく、一部改悪がおこなわれたことです。従来、不服審査の手続きはほぼ全面的に行政不服審査法によっていましたが、・改正」法は、異議申し立て、審査請求についての手続きについて、行政不服審査法の手続きをほぼ全面的に適用除外として、国税通則法の中に新しく異議申し立てと審査請求についての規定を設けました。行政不服審査法の規定で、税法上の処分等について適用されるのは、第一章の総則、第二章第四節の不作為についての不服申し立て、第三章補則だけになりました。 従来の行政不服審査法による審理手続きにおいては、審査庁に、職権による調査権は認められているものの、これを拒否した場合には罰則はありませんでした。ところが、通則法では、国税審判官の職権調査に対する検査拒否、虚偽答弁、不答弁等について、審査請求人に対しては主張の不採用と規定されていますが、関係人、参考人に対しては3万円以下の罰金が盛り込まれました。また、異議申し立てに対する異議審理庁の調査権については、各税法所定の罰則(1年以下の懲役または20万円以下の罰金)が適用されるというのが、国会審議における政府側の答弁でした。 この点については、後で検討します。 さらに、行政不服審査法によると、審査庁が職権で原処分庁に提出させた書類その他の物件(行政不服審査法28条)についても審査請求人の請求があれば閲覧させなければならない(行政不服審査法33条2項)ことになっていたものが、原処分庁が任意に提出した書類等でなければ閲覧請求ができないと解される規定となり、実際にそのように運用されています。 審査請求人の申し立てや審判官の職権で処分庁等から提出させた書類等については、審査請求人は閲覧できないという秘密主義が審判所の中ではいまだにまかり通っています。これでは、なんのための閲覧請求権なのか分かりません。審査請求では、処分庁の手の内をすべて納税者に開示して、十分弁明、反論させることが、民主的な不服審査制度の在り方としてはどうしても欠かすことができません。 実際に審査請求をし、閲覧請求をした場合、審判官が見せてくれるのは、@納税者の申告書、A更正・決定通知書、B異議申立書、C異議決定書、D所得調査書、E答弁書、F審査請求書です。このうち、Dを除けば、全部審査請求人の手許にあるものだけで、閲覧の意味がありません。Dの所得調査書は、異議決定において推計課税に用いた同業者比率を算出した経緯やA、B、Cなどの記号化された同業者の売上高や所得金額、所得率、所得率の算術平均などが記載されたもので、同業者比率に用いられた同業者はどこのだれであるのかはまったく分かりません。 同規模同業者の選定は、審査請求人の売上高の半分から2倍までの者を選んで同業者比率を算出することとしているのが一般的です。これを、・倍半基準」と言っています。それが、どこのだれなのかは明らかにされませんから、審査請求人は、その選定された同業者なるものとの事情の違いなどを主張することも証明することもできません。そもそも、A、B、Cなどの同業者がいるかどうかも分かりません。それが実態です。 KJDBNAG役に立たない閲覧請求権 行政不服審査法では、審査庁の処分庁等に対する書類等の提出要求が28条に規定され、処分庁からの任意の書類等の提出が33条1項に規定されています。そして33条2項で、審査請求人の閲覧請求権が規定されていますから、法律の条文に従えば閲覧請求の対象には審査庁が職権で提出させた書類等も含まれていると解されます。 ところが、現行の通則法では、96条1項に原処分庁からの任意の証拠書類等の提出を定め、2項に審査請求人の閲覧請求権を規定しています。担当審判官が審査請求人の申し立て、または、職権で原処分庁に書類等の提出を求める規定は、97条1項に、・担当審判官は、審理を行なうために必要があるときは、審査請求人の申立てにより、又は職権で、次に掲げる行為をすることができる」とし、同項2号で「前号に規定する者(審査請求人、原処分庁、関係人、参考人のこと・・関本注)の帳簿書類その他の物件につき、その所有者、所持者若しくは保管者に対し、当該物件の提出を求め、又はこれらの者が提出した物件を留め置くこと」を定めています。 国税不服審判所の解釈によると、この規定の仕方からいって、審査請求人が閲覧を請求できるのは、96条によって原処分庁が任意に提出した証拠書類その他の物件だけであって、たとえそれが審査請求人の申し立てによって提出させた物件であっても、それを見ることができるのは審判官だけであって、審査請求人に閲覧させることは法律上できないというのです。 審査請求人の申し立てによって提出させた書類等であっても、審査請求人には閲覧させないというのであれば、97条1項の審査請求人の申し立てによる審判官の提出命令は、いったいどういう意味を持つというのでしょうか。審査請求人は、処分庁が「こういう資料を持っているはずだから提出させてもらいたい」と申し立てをするのですから、それを見せなければ提出要求の意味はありません。 昭和45年の通則法「改正」で、行政不服審査法の前述のような処分庁からの証拠書類等の提出と閲覧請求の規定を入れ替えることによって、審査請求人の閲覧請求権を不当に狭めようとしたものと思われます。国税通則法「改正」にあたっての国会論議でもこの点については審議されていません。通則法「改正」案の問題点についての国会議員を含めた勉強会でも、そこまでは気がつかず、追及することができませんでした。当時、国会議員を含めた勉強会に参加した者の一人としてその点が悔やまれます。 KJDBNAG本質を突いた共産党議員の追及 当時、国税通則法「改正」案の審議をしたのは、衆参両院の大蔵委員会で、衆議院では、社会党の阿部助蔵委員、共産党の小林政子委員などが納税者の立場に立って鋭く政府を追及してくれました。審議が参議院に移ってからは、社会党の木村喜八郎委員、共産党の渡辺武委員などが主としてこの問題にとりくんでくれました。 通則法「改正」案の審議のための勉強会は、法案が参議院に送られてからは連日のように開催されました。この勉強会には、自由法曹団の故小沢茂弁護士、鶴見祐策弁護士、税経新人会からは故吉田敏幸先生、全国税労働組合から故Sさん、それに私などが参加し、渡辺武参議院議員を囲んで深夜まで続けられ、翌日は委員会の審議を傍聴して、さらに次の質疑の準備をするというような活動が続きました。 第61国会、第63国会の衆参両院の大蔵委員会議事録には、政府委員と小林議員や渡辺議員との間の丁々発止とした論戦が生々しく記録されています。 KJDBNAG学習が運動の原動力に 全商連・民商では、国税通則法「改正」案が国会に提出された後も、引き続き反対運動を続けるとともに、全国各地で不服審査制度についての学習会を開いて、この法案の危険な内容を広く会員に知らせる活動を続けました。国会での勉強会に参加したり、委員会審議を絶えず傍聴していた私は、各地の県商連や民商の学習会に出席させてもらい、会員や役員の皆さんに国会の審議状況や法案の問題点を報告させてもらいました。北は北海道から、南は九州まで、数十回に及びました。 このような、全国的な学習と反対運動が、その後の全商連・民商の会員の異議申し立てや審査請求、さらには税金裁判のなかで大きな力になっていったことは間違いありません。 (せきもと ひではる) |
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