『納税者の権利救済制度確立のたたかい』(7) 著著、執筆TOP

国税当局の民商弾圧と 民商・全商連の反撃

国税通則法制定に反対するたたかいで大きな役割を果たした民商・全商連は、国税当局にとっては無視することのできない「邪魔者」となりました。労働運動のなかに国税通則法制定反対運動を広めるために積極的な役割を果たした全国税労働組合も、国税庁にとっては「獅子身中の虫」となりました。

 そこで始められたのが民商・全商連に対する組織破壊を目的とした民商会員に対する弾圧的な調査、更正・決定の乱発、脱会工作です。

 全国税労働組合に対する弾圧も、民商・全商連弾圧とほぼ時を同じくして始められました。第二組合を結成させ、全国税を抜けさせるとか、組合員に対しては昇給させないとか、第二組合に入った組合員に対しては特別昇給をする、全国税組合員を通勤できないような僻地に転勤させるというような、労働法上はもちろん、人道的にも許せないような弾圧と分裂策動がおこなわれ、全国税労働組合は重大な打撃をこうむりました。このような弾圧にもめげず全国税労働組合はその組織と団結を守り抜き、現在も国税職員のなかにあって大きな信頼を保っています。

 民商・全商連に対する国税当局の弾圧については、『民商・全商連の五十年』の第二章第七節3「民商・全商連の前進恐れて、つよめられた組織破壊の攻撃」、4「『嵐は強き木をつくる』を合言葉に奮闘」(127頁から139頁)の項に詳しく述べられています。以下、叙述の都合上、他の動きと関連させながら大きな流れを記しておきたいと思います。

 民商・全商連への弾圧は、昭和38年5月に、当時の国税庁長官木村秀弘の全国国税局長会議における「3年以内に民商をつぶす」という発言から始まりました。納税者の権利を守る民商・全商連の活動が、強権的な徴税行政を遂行し、国税通則法の制定をはじめ大企業・大金持ち優遇の不公平税制を拡大しようとする大蔵省(現財務省)、国税庁にとって大きな障害となっていました。

マスコミを総動員した 民商攻撃の実態

 木村長官の発言は、直ちに実行に移されました。民商弾圧の手段は民商・全商連を「反税団体」と決めつけ、会員に対する事前通知なしの多人数による抜き打ち調査がその主な手口で、「民商を脱会すれば税金を安くしてやる」とか、「抜けなければ徹底的に調査をして更正・決定をする」などという脅しで、組織破壊を目的としていました。民商・全商連攻撃にはマスコミも動員され、税務当局の流した情報によって民商会員が意図的に脱税を指導したり、調査妨害を組織しているかのようなデマ宣伝がまき散らされました。また、事務局員や会員の調査立ち会いを公務執行妨害などとして刑事事件をデッチあげるなど、考えられるあらゆる手段を使って反民商宣伝と組織破壊の攻撃をかけました。

 刑事事件としては、川崎民商の平山事件(当時の川崎民商事務局長平山忠一さんを所得税法違反で起訴)、中野民商の小林事件(当事の中野民商事務局次長の小林義之さんを公務執行妨害罪容疑で逮捕、ほかに4人の事務局員も同一容疑で逮捕)など、中野民商事件での小林さんの逮捕、家宅捜査では、あらかじめ新聞・テレビが動員され、民商が凶悪な犯罪的な団体であるかのように国民に印象づけようとする卑劣な宣伝をおこないました。

 このような事態は、全国各地で同じように展開され、民商会員は、一時的に約1万人も減少しましたが、民商・全商連は、その後のねばり強い拡大運動によってこれを跳ね返し、大幅な組織拡大を達成しました。

かちとられた いくつかの勝利判決

 民商・全商連は弾圧に対して、組織拡大で応えただけではなく、刑事裁判でも組織をあげた反撃をおこない、多くの無罪判決を勝ち取っただけでなく、中野民商事件では、国税当局の弾圧による損害を賠償せよと国家賠償を求める攻勢的な裁判闘争も展開しました。昭和43年1月には、民商に団結権、名誉権があり、国の行為は、民商の名誉を失墜させ、団結権を侵害するものであるとして、請求を全面的に認める画期的な判決を出させるところまで国側を追いつめました。

 時系列的に民商に関する判決を追うと、昭和43年1月31日の中野民商の国家賠償請求事件の勝訴(東京地裁)、同年5月24日の川崎民商平山さんの所得税法違反の刑事事件の東京高裁の無罪判決、昭和44年3月25日の荒川民商広田さんの所得税法違反事件の無罪判決、昭和46年1月27日の千葉地裁の更正処分取消訴訟の勝訴判決、昭和47年2月9日の静岡地裁の公務執行妨害事件での無罪判決などです。これらの判決は、北野弘久日大教授(当時)編の『質問検査権の法理』に全文掲載されています。

 刑事事件では、一部有罪となったものもありますが、いずれの判決も、民商会員に対する差別的な調査に対して批判的な判断を示すものとなっています。昭和48年7月10日の広田事件についての最高裁第三小法廷判決は原則的に国税庁の主張を支持しながらも、所得税法234条の質問検査権について、「客観的な必要性があると判断される場合」に限って行使が許されるものであるという判断を示し、国側の主張に対してかなり厳しい枠をはめるものとして評価されるものです。

 これらの一連の判決は、民商・全商連の裁判闘争の大きな成果ですが、全国の納税者の権利闘争を勇気づけるものとなり、民商・全商連を自分たちの職域を侵害する組織ではないかという疑念を抱いていた多くの税理士にも目を開かせ、権利意識を高めるという影響を与えたことは否めません。

民商弾圧に利用された、青申会・税理士会・国税庁の「三者協定」

 民商弾圧によって民商を脱会させた零細事業者を、その後どのようにフォローしていくかは国税当局にとって頭の痛い問題として残りました。そこで、国税庁の考え出したのが、税理士法50条(臨時の税務書類の作成等)による「臨時税理士」(臨税)の利用でした。税理士法50条は、確定申告期に、税理士資格を持たない青色申告会や商工会、商工会議所の職員に対して2カ月の期間を限って、無報酬で税理士の独占業務である税務書類の作成や税務相談に応ずることを国税局長の権限で許可することができるというものです。

 この規定を乱用されると、税理士の職域が侵害されるということで、税理士会と国税当局の間で大きく意見が対立しました。国税庁では、民商を脱会させた中小零細企業納税者を青色申告会や商工会、商工会議所に入会させ、その職員に臨税資格を与えてその対応に当たらせようと考えていたので、日本税理士会連合会と国税庁との間でその取り扱いをめぐって争いが生じました。基本的には、当時、税理士法上、国税庁長官の監督下にあった日税連も、こと職域問題となると目の色を変えて国税庁に食い下がっていました。

 しかし、その後、日税連、全国青色申告会総連合、国税庁の間で話し合いがまとまり、昭和38年10月30日、いわゆる「三者協定」が締結されました。

 当時(昭和38年11月11日付)の日税連機関紙「税理士界」(281号)には、この間の事情について次のように報道されています。

 民商対策に端を発し、ついに国税庁、税理士の間に尖鋭な対立状態まで現出した「臨時税理士」事件が10月30日ようやく国税庁と日税連、青申総連合三者の調整がなり、了解事項調印の運びとなった。
 了解事項そのものは極めて抽象的だが、今後は小企業納税者に対する記帳から申告まで一貫した税務指導につき、三者がそれぞれの機能と職能に応じて相協力してゆこうという趣旨から、国税庁としても、ここは一応、税理士法50条拡大の方針を引っ込めることとなった。

 この記事に続いて、三者協定の全文が掲載されていますが、その内容を要約すると次のようなものです(前文は省略)。

  一、青申会および日税連は協力してその地域の実情に応じて小企業納税者の記帳、決算、申告の一貫した指導(記帳代行を含む)を速やかに実施する。
二、国税庁は、これにできる限りの支援・協力を行ない、商工会、商工会議所にも協力を求める。
三、青申会、日税連ならびに国税庁は、一項の施策の円滑実施のために下部組織を通じて協議会を設け具体策を協議する。
昭和38年10月30日
全国青色申告会総連合 会長林慶之助
日本税理士会連合会会長前田幸蔵
国税庁長官木村秀弘

 この三者協定によって、税理士は従来にもまして徴税機構の下請機関としての性格をいっそう強めることになり、無償に近い報酬で確定申告期に小規模納税者の申告書の作成など、本来なら税務署員がやるべき仕事を背負い込まされることになり、この関係は現在まで連綿と続けられています。つまり、国税庁の始めた民商弾圧の尻ぬぐいを、税理士法50条の「臨時税理士」という職域侵害をちらつかせた巧妙なゆさぶりで押しつけられているということになります。

税経新人会の提起した 民主的な小企業対策

 税経新人会は、まったく手をこまねいていたわけではありません。東京税経新人会は、それまでの小企業対策の経緯を踏まえて、昭和49年10月15日付の「税経新報」(163・4合併号)で、・真に自主的な小企業対策の確立のために」と題する意見書を作成して、これを「税経新報」号外として東京税理士会の全会員に郵送し、今後の自主的な小規模企業納税者に対する税理士の使命としての対策事業のあるべき方向を提示しました。この考え方は、現在でも正しいと評価できるものです。

 この意見書で、東京税経新人会は、次のように提言しています(表題のみ)。

 一、昭和38年10月30日締結した、いわゆる「三者協定」を直ちに破棄すること。
二、日税連は、現在すすめている税務当局の下請となっている小企業対策事業から手を引くこと。
三、憲法に保障された「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の実現をめざし課税最低限の引き上げのための運動を展開すること。
四、小企業納税者に過重な負担をおわせる付加価値税導入に反対する運動を展開すること。
五、税務経営指導所(「三者協定」に基づいて税理士会の支部が設けている小企業納税者の記帳代行等を行っている付属機構・筆者注)が受けている紐つきの補助金を返上し、税務経営指導所を真に納税者に直結した自主的な税務相談所に改革すること。
六、納税者が、いつでも、どこでも、気軽に税理士を利用できるよう、多数の税務相談所を設置し、積極的に宣伝すること。

 以上が、私たちが、民商・全商連弾圧事件や、それを支えるために国税庁が税理士を下請機関化しようとした策動から学びとった教訓でした。この考え方は、納税者の権利を守るための本来あるべき税理士制度を確立するための、その後の運動のなかに生かされています。

 特に、昨年改悪された消費税法によって、免税点が引き下げられ、所得税がかからない零細業者にまで消費税の納税義務が課せられたうえ、厳しい記帳義務まで負わされることになっているので、民主的な税理士制度や小企業対策の重要性はますます高まっているといえます。

(せきもと ひではる)

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