『納税者の権利救済制度確立のたたかい』(4) | ← | 著著、執筆TOP | → |
シャウプ第一次勧告に基づく税制「改正」―青色申告制度の導入などシャウプ勧告(第1次、1949年8月27日)の第14章「所得税における納税協力、税務行政の執行ならびに訴訟」の「更正決定」の項は、次のような書き出しで始まっています。 「中小営業者、小売商人、製造業者、卸売業者等は更正決定の嵐の中心地帯である。実際われわれが調べたすべての税務署で農業者でない申告納税者によって提出された所得税の申告書の大多数は税務官吏によってしばしば五〇%或いはそれ以上、時には一〇〇%以上増加されている。このことは普通少くともかなり度々、納税者の家宅または帳簿を実地調査せずに、また、どのようにしてその更正決定額が得られたかについて、何ら説明なしに行われている」(日本税理士会連合会復元版『シャウプ使節団日本税制報告書』154頁)。 しかし、シャウプ勧告は、実際に申告水準が低いからやむを得ない措置だが、こういうやり方が「納税者の協力を得るための障壁となっている」とみていました。そして、「標準率の使用、雇傭者数の如き外形標準、或いは総収入に対する純所得の特定比率の如き内部的比率・・・は、着々と減少されなければならない」として、それを改善するために「青色申告」の制度を導入して、青色申告者に対しては推計課税を許さないという制度を提唱しました。 この勧告は、昭和25年度の税制「改正」、(シャウプ勧告に基づく第2次「改正」、昭和24年度の補正予算時におこなわれた昭和24年度税制改正では、シャウプ勧告のうち、所得税制の一部分の改正や国民の大反対運動に伴う取引高税の廃止など、緊急の改正だけがおこなわれ、その他の改正は昭和25年度に持ち越されました)で所得税制のうち24年度改正で積み残された部分、法人税法の抜本改正、所得・法人両税における青色申告制度の創設、協議団制度の創設、相続税法の改正、富裕税の創設、通行税の改正、有価証券移転税の廃止、酒税の増税と整備、資産再評価税の創設などがおこなわれました。 協議団制度の創設シャウプ勧告における協議団創設についての部分は、おおむね次のような内容のものでした(筆者の要約)。
シャウプ勧告のこの部分は、将来の望ましい制度という位置づけでしたから、もちろん立法化されず今日に至っています。シャウプ勧告は、この時、おそらくアメリカの「タックス・コート」(租税裁判所。司法裁判所ではないが、司法裁判所へ提訴する前段階として行政機関として処分の適否を審査する準司法機関)を念頭においていたのだろうと思います。アメリカでは、租税裁判所へ出訴する場合は、決定された税額を収めないでもよいことになっており、その判決に不服があって、さらに司法裁判所に出訴する場合は、いったん税金を納めておいて、その返還を請求する形で課税処分を争うという構造になっています。 協議団の創設に関する勧告は、次のようなものです。 「もし、納税者と、彼の納税申告を更正決定した税務官吏との間に非公式の協議が行なわれた結果、意見が一致しない場合は、納税者は税務署内または数税務署の県単位に付属設置される特別の協議団に事件を持ち出すことを許さるべきである。ある場合には、更に、これを国税局の協議団に異議申し立てすることも認められるべきである。現在は、趣旨においては、国税局への異議申し立てが認められているが、われわれの一般的印象はそこまで事件を押し進めるだけの価値があると考えた納税者は少ないということである」(前掲書156頁)。 シャウプ第2次勧告と協議団創設勧告の意図昭和25年の税制改正後に、シャウプ使節団は再び来日し、協議団制度の運用の実態その他について当初の勧告の実施状況を調査し、9月21日に第2次報告書を作成しています。そのなかから、「協議団の手続」に関する部分を要約すると、だいたい次のようなものです。
できあがった協議団の実態以上のようなシャウプ勧告に基づいて、所得税や法人税についてどのような制度が新たに設けられたかを昭和25年の改正法に基づいてみておきたいと思います。 前に述べたように、昭和22年に全文改正された所得税法、法人税法では、異議申し立てを「再調査」と規定し、実際にもそのように位置づけていました。この規定は、昭和37年の行政不服審査法の制定まで生きていたわけですが、昭和25年のシャウプ勧告による改正によって青色申告が導入されたことに伴い、「更正及び決定」「再調査、審査及び訴訟」についておおむね次のような改正がおこなわれました。
所得税法と法人税法で異なった不服審査制度所得税法では、前記のとおり、青色申告者に対する更正については「選択により」異議決定を経ないで審査請求ができる旨規定されていましたが、法人税法にはこれに対応した規定はありませんでした。私は、条文の読み落としかと思い、何度も六法を調べましたが、どうしても見つかりませんでした。そこで、正確を期するために財務省税制二課(法人税担当)にその点を調べてもらいました。税制二課の担当者からも、古い法人税法を調べても確かに所得税法のような選択的な審査請求についての規定はありませんでした、という回答が返ってきました。 所得税法と法人税法で、不服審査について異なった取り扱いをすることは理論上はあり得ないことですが、事実、昭和37年の国税通則法制定までの間はそういう状態が続いていたことになります。 いずれにしても、この改正によって、各国税局長および国税庁長官の付属機関として協議団が生まれました。シャウプ勧告では、国税局長の付属機関として協議団を設けるというよりも、ニュアンスとしては第三者的な不服審査機関を意図していたのではないかと思われますが、結局、立法としては税務行政の統一的運用という面が強調され、裁決権者は国税局長となり、協議団の決議は、審査請求に対する調査と議決だけとなりました。法律の文理解釈だけでいえば、国税局長は、審査請求についての裁決をする場合、「協議団の議を経」ていれば、それと異なる裁決をしても違法行為ではないということになります。 実態はどうであったのかというと、協議団は、いわば出世コースから外れた人たちで構成され、その決議は、主管部といわれる執行機関から絶えずチェックされ、主管部の意に沿わない議決案は何度も突き返され、結局、主管部の意向に沿った決議しかできなかったということです。 このあたりの事情を反映して、協議団と主管部の間のやりとりを、東京局では「キャッチボール」と呼び、大阪局では「エレベーター」と呼んでいたということです。「キャッチボール」は文書の往復の様をよく表していますが、「エレベーター」というのは、主管部と協議団の部屋が上と下にあり、文書がエレベーターに乗って何度も昇ったり降りたりしたことからそう呼ばれていたということです。東京と大阪の呼び方は、あるいは私の記憶違いで、逆だったかもしれませんが、主管部が、いかに強い権限を持っていたのかをよく表しています。 協議官も人の子ですから、あわよくば次の異動で少しでもましな部署に戻りたいという感情が働くでしょうから、最後まで納税者の権利を守るために筋を通そうという人がそんなに多くいたとは考えられません。 協議団創設当初は、まだ上からの税収目標の押しつけなどもあり、違法・不当な課税処分も乱発されていたころでしたから、異議申し立てや審査請求で処分の一部または全部が取り消される割合が相当高かったようですが、残念ながら古い統計を見つけ出すことができませんでした。昭和24年の異議申し立て、審査請求は、214万件にも達していたという記録があります(『国税通則法精解』大蔵財務協会、昭和52年改訂版、663頁)。 しかし、昭和30年になると3万件ほどに減少しています(同前)。このことは、異議申し立てや審査請求も、当初の宣伝とは違い、結局、原処分庁の課税処分を維持するための儀式のようなものでしかないという認識が納税者の間で強まり、前回も指摘したように、協議団制度そのものに対する信頼がなくなってきたことの表れでした。そういう状況を反映して、協議団も結局は「同じ穴のムジナ」にすぎないという批判が日増しに高まってきたのです。 (せきもと ひではる) |
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